2020 / 4 / 25 黙想のみことば

今日の黙想のみことばです。 

エゼキエル書 43章1~27節


1 "彼は私を東向きの門に連れて行った。 2 すると見よ、イスラエルの神の栄光が東の方から現れた。その音は大水のとどろきのようで、地はその栄光で輝いた。 3 私が見た幻は、かつて主がこの町を滅ぼすために来たときに私が見た幻のようであり、またその幻は、かつて私がケバル川のほとりで見た幻のようでもあった。私はひれ伏した。 4 主の栄光が東向きの門を通って神殿に入って来た。 5 霊が私を引き上げ、私を内庭に連れて行った。なんと、主の栄光が神殿に満ちていた。 6 私のそばに人が立っていたが、私は、神殿の中から声が私に語りかけるのを聞いた。 7 その声は私に言われた。「人の子よ。ここはわたしの玉座のある場所、わたしの足の踏む場所、わたしが永遠にイスラエルの子らの中で住む場所である。イスラエルの家は、その民もその王たちも、もう二度と、淫行や高き所の王たちの死体で、わたしの聖なる名を汚さない。 8 彼らはかつて、自分たちの敷居をわたしの敷居のそばに設け、自分たちの戸口の柱をわたしの戸口の柱の傍らに立て、わたしと彼らとの間には、ただ壁があるだけであった。そして彼らの忌み嫌うべきわざによって、わたしの聖なる名を汚した。そこでわたしは怒って、彼らを絶ち滅ぼした。 9 今、彼らにその淫行や王たちの死体を、わたしから遠ざけさせなければならない。そのとき、わたしは永遠に彼らの中に住む。 10 人の子よ。あなたは、イスラエルの家が自分たちの不義によって辱められるため、彼らに神殿を示し、彼らにその模型を測らせよ。 11 もし彼らが、自分たちの行ったあらゆることによって恥じるなら、あなたは彼らに神殿の構造とその模型、その出口と入り口、すなわち、そのすべての構造を、神殿のすべての掟、すべての構造、すべてのおしえとともに示し、彼らの目の前でそれを書き記せ。彼らがそのすべての構造と掟を守り、それらを行うためである。 12 神殿に関するおしえは次のとおりである。山の頂の周囲全体は最も聖なる所である。これが神殿に関するおしえである。 13 キュビトによる祭壇の寸法は次のとおりである。このキュビトは、普通のキュビトに一手幅足したものである。祭壇の溝は深さ一キュビト、幅は一キュビト、周囲の縁取りは一ゼレトである。祭壇の高さは次のとおりである。 14 この地面に接する溝から下の台座までは二キュビト、幅は一キュビト。この低いほうの台座から高いほうの台座までは四キュビト、幅は一キュビト。 15 祭壇の炉は高さ四キュビトであり、祭壇の炉から上の方へ四本の角が出ている。 16 祭壇の炉は長さ十二キュビト、幅十二キュビトの正方形である。 17 その台座は長さ十四キュビト、幅十四キュビトの正方形で、その周囲の縁は半キュビト、周囲の溝は一キュビトであり、その階段は東に面している。」 18 その声は私に言われた。「人の子よ、神である主はこう言う。祭壇の上で全焼のささげ物を献げ、血を振りかけるための祭壇を造る日には、次のことが祭壇に関する掟となる。 19 わたしに仕えるためにわたしに近づく、ツァドクの子孫のレビ人の祭司たちに、あなたは罪のきよめのささげ物として若い雄牛一頭を与えよ──神である主のことば──。 20 あなたはその血を取り、祭壇の四本の角と、台座の四隅と、周りの縁に付けて祭壇から罪を除き、そのための宥めを行う。 21 また、罪のきよめのささげ物の雄牛を取り、これを聖所の外の、神殿の特定の場所で焼かなければならない。 22 二日目に、傷のない雄やぎを罪のきよめのささげ物として献げ、雄牛で罪を除いたように祭壇から罪を除く。 23 罪を除き終えたら、傷のない若い雄牛と、群れのうちの傷のない雄羊を献げる。 24 それらを主の前に献げ、祭司たちがそれらの上に塩をまき、全焼のささげ物として主に献げる。 25 七日間、あなたは毎日、罪のきよめのささげ物として雄やぎ一匹を献げ、傷のない若い雄牛一頭と、群れのうちの傷のない雄羊一匹を献げる。 26 七日間にわたって祭壇のための宥めを行い、それをきよめ、聖別する。 27 この期間が終わり、八日目とその後は、祭司たちが祭壇の上で、あなたがたの全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げる。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れる──神である主のことば。」" 


   "七日間にわたって祭壇のための宥め(なだめ)を行い、それをきよめ、聖別する。 この期間が終わり、八日目とその後は、祭司たちが祭壇の上で、あなたがたの全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げる。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れる──神である主のことば。」" 

エゼキエル書 43章26~27節



本文は、祭司による「なだめの供え物を捧げて、祭壇をきよめ、聖別」せよ。と仰せられました。 「宥(なだ)めを行い」という事は「宥めの供え物をささげなさい。」という事です。 ここで「宥めの供え物」と訳された言葉は、他の訳で見ると、「あがないの供え物」(口語訳)、「罪をつぐなう供え物」(新共同訳)とも訳しています。英語では “Propitiation”と言い、「贖罪」もしくは「宥める」時には「和解」の意味を持っています。何を意味するのかと言うと、 罪によって造り主と人の間にある、壁を無くすために「贖罪の供え物」をする事です。ところが、主なる造り主は私たちに対する、その「善」と「義」は永遠に変わらないので(詩89:34)、主と和解を得るために「供え物」を献げる必要のある側は私たち人間だけです。それで旧約時代には礼拝を捧げる前、祭壇にて「自分の過ちや罪を背負わせた供え物を献げる」事が良くありました。 これを通して過ちや罪などが赦されて聖別された事です。 造り主は言われました。「祭壇のために宥めを行い」なさい。「そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れる」と。要するに、祭壇は礼拝の事ですが、礼拝を捧げるあなた方はまず、神様と「和解」を得て、「受け入れられる」礼拝としなさい。 礼拝は、信仰生活において基本であり、祝福のミナモトであります。だから主なる神様が受け入れられる礼拝をささげなければなりません。そのような礼拝のために、皆さんはどのような過ち、隠している罪、今も頻繁に犯している悪い習慣など何がありますか? 何より、見えない自分の心と思いの中で不信、自己中心的なところはありませんか?自分の満足を得るための礼拝ではなく、主なる神様が受け入れる、喜ばれる礼拝を捧げましょう。 ローマ人への手紙12章1-2節 「兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。2 あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。」


大阪ホーリネス教会

大阪ホーリネス教会は聖書の教えと生き方が釣り合う共同体を目指していく教会です。

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