2020 / 4 / 28 黙想のみことば

今日の黙想のみことばです。 

エゼキエル書 45章18~25節

18 "神である主はこう言われる。「第一の月の一日に、あなたは傷のない若い雄牛を取り、聖所から罪を除かなければならない。 

19 祭司は罪のきよめのささげ物から血を取り、それを神殿の戸口の柱、祭壇の台座の四隅、そして内庭の門柱に塗る。 

20 その月の七日にも、あなたは、迷い出る者や浅はかな者のゆえにこのように献げ、神殿のために宥めを行わなければならない。

21 第一の月の十四日に、あなたがたは過越の祭りを守り、その祭りの七日間、種なしパンを食べる。 

22 その日に君主は、自分のために、また、国のすべての民のために、罪のきよめのささげ物として雄牛を献げる。 

23 その祭りの七日間、彼は全焼のささげ物として傷のない七頭の雄牛と七匹の雄羊を、七日間、毎日、主に献げなければならない。また一匹の雄やぎを、罪のきよめのささげ物として、毎日、献げなければならない。 

24 穀物のささげ物として、雄牛一頭に一エパ、雄羊一匹に一エパを献げる。油は一エパごとに一ヒンとする。 

25 第七の月の十五日の祭りにも、七日間、これと同じように献げる。罪のきよめのささげ物、全焼のささげ物、穀物のささげ物、それに油を、同じように献げる。」"   


エゼキエル書 46章1~24節 

1 "神である主はこう言われる。「内庭の東向きの門は、仕事をする六日間は閉じられるが、安息日には開けられなければならない。また、新月の祭りの日にも開けられなければならない。 

2 君主は外側の門の玄関の間を通って入り、門の戸口の柱のそばに立つ。祭司たちは彼の全焼のささげ物と、交わりのいけにえを献げ、彼は門の敷居のところで礼拝する。それから彼は出て行く。しかし、門は夕暮れまで閉じてはならない。 

3 民衆も、安息日と新月の祭りの日には、その門の入り口で主の前に礼拝をする。 

4 君主が安息日に主に献げる全焼のささげ物は、傷のない子羊六匹と、傷のない雄羊一匹である。 

5 また、穀物のささげ物は、雄羊一匹について一エパ。子羊については、彼が献げることができる分量の穀物のささげ物。油は一エパごとに一ヒンである。 

6 新月の祭りの日には、傷のない若い雄牛一頭と、傷のない子羊六匹と雄羊一匹である。 

7 穀物のささげ物をするために、雄牛一頭に一エパ。雄羊一匹に一エパ。子羊については、手に入れることができる分でよい。油は一エパごとに一ヒンである。 

8 君主が入るときには門の玄関の間を通って入り、そこを通って出て行かなければならない。 

9 しかし、民衆が例祭の日に主の前に入るとき、北の門を通って礼拝に来る者は南の門を通って出て行き、南の門を通って入る者は北の門を通って出て行かなければならない。自分が入った門を通って帰ってはならない。その反対側から出て行かなければならない。 

10 君主は、彼らが入るときに一緒に入り、彼らが出るときに一緒に出なければならない。 

11 祭りと例祭での穀物のささげ物は、雄牛一頭に一エパ、雄羊一匹に一エパ。子羊については献げることができる分量。油は一エパごとに一ヒンである。 

12 また君主が、進んで献げるものとして全焼のささげ物を、あるいは、進んで献げるものとして交わりのいけにえを主に献げるときには、彼のために東向きの門を開けなければならない。彼は安息日に献げるのと同じように、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げなければならない。そして彼は出て行くが、出て行った後、その門は閉じられる。 

13 あなたは毎日、傷のない一歳の子羊一匹を、全焼のささげ物として主に献げなければならない。これを毎朝、献げなければならない。 

14 それに添えて、毎朝、六分の一エパの穀物のささげ物、上等の小麦粉に振りかけるための油三分の一ヒンを献げる。これが主への穀物のささげ物であり、永遠に続く掟である。 

15 こうして、子羊、穀物のささげ物、そして油を、常供の全焼のささげ物として、毎朝、献げなければならない。」 

16 神である主はこう言われる。「もし君主が、贈り物として自分の相続地を自分の息子たちに与えるなら、それは息子たちのものとなり、それは相続地として彼らの所有地となる。 

17 しかし、もし君主が自分の相続地の一部を、贈り物として奴隷の一人に与えるなら、それは解放の年まではその奴隷のものであるが、その後で君主に返される。ただ息子たちだけが、相続地を自分のものとすることができる。 

18 君主は、民の相続地を奪って民をその所有地から追い出してはならない。彼は自分の所有地から、息子たちに相続地を受け継がせなければならない。それは、わたしの民がその所有地から一人でも散らされないようにするためである。」 

19 それから彼は私を、門のわきにある出入り口から、北向きになっている祭司たちの聖所の部屋に連れて行った。すると、西の方の隅に一つの場所があった。 

20 彼は私に言った。「ここは祭司たちが、代償のためのささげ物や罪のきよめのささげ物を煮たり、穀物のささげ物を焼いたりする場所である。これらの物を外庭に持ち出して、民を聖なるものとしないためである。」 

21 彼は私を外庭に連れ出し、庭の四隅を通らせた。すると庭の隅には、それぞれまた、ほかの庭があった。 

22 庭の四隅に仕切られた庭があり、それは長さ四十キュビト、幅三十キュビトで、四つともみな同じ寸法であった。 

23 その四つとも周りは石の壁で囲まれ、石の壁の下の方には調理場が作られていた。 

24 彼は私に言った。「これは、神殿で奉仕をしている者が、民からのいけにえを煮る調理場である。」" 


今日の黙想の分ち合い 


9 国の民が、祝い日に主の前に出る時、礼拝のため、北の門の道からはいる者は、南の門の道から出て行き、南の門の道からはいる者は、北の門の道から出て行け。そのはいった門の道からは、帰ってはならない。まっすぐに進んで、出て行かなければならない。(口語訳)


本文は、 すべての例祭のために聖所へ入る礼拝者たちに対する定められたおきてが記されています。礼拝をささげるため、聖所の北の門の道から入る者は、南の門の道から出て行き、南の門の道から入ったものも南の門へ戻らずに北の道から出ていきなさい。という事は、出入りがあるところで人と人の混雑と摩擦を無くすために定めたおきてです。なんと思慮深い主なる神様であるのかが分かります。礼拝に集中させるためのものでしょう。しかし、このような細かいところまで聖書は主のお言葉として記しているのは、さらなる霊的なメッセージがあるためでした。それは、神様と同じ方向へ目指して歩み、反対方向へ戻ってはならないという意味です。 


信仰生活は、イエス・キリストを受け入れたならば、信じる前のこの世の楽しみや生活の習慣などを背にして、御国の希望をもって新しく造り返られた人生を送る事です。要するに造り主へ向かう事です。主なる神様に礼拝をささげてから、捨てた欲望に自分を汚してはなりません。イエス様の信仰をもってからより尊い目標が与えられている事を忘れてはなりません。私たちが主のために働くとき、主なる神様は私のためにもっと強く働かれる方である事を信じましょう。助け主の主が共にいます。ハレルヤ!  


"私たちが正気でないとすれば、それは神のためであり、正気であるとすれば、それはあなたがたのためです。というのは、キリストの愛が私たちを捕らえているからです。私たちはこう考えました。一人の人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである、と。キリストはすべての人のために死なれました。それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。… ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。" コリント人への手紙 第二 5章13~15, 17節



大阪ホーリネス教会

大阪ホーリネス教会は聖書の教えと生き方が釣り合う共同体を目指していく教会です。

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