どの様な霊の体を受けますか

コリント人への第Iの手紙 15章35節-44節

“육의 몸으로 심고 신령한 몸으로 다시 살아나나니 육의 몸이 있은즉 또 영의 몸도 있느니라”(고전 15:44)
44 血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされ るのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるの です。

聖書の教えの中で、一番大切な事は、何でしょう。神を愛する事、隣人を自分のように愛する事でしょう。
なぜ、これが大事でしょうか?それは、「天国は愛に満ちた、永遠の国」だからです。愛することが出来ない者はその資格がない。と言っても過言ではないかと思います。教会は愛の実践する、そして実を結んで、本当の実の御国においていただく大事な共同体です。
イエス様は、ヨハネ12章において「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、 実を結ぶ事はない」と言われました。神の愛は、「一人子イエス・キリストが十 字架の上で死なれた事によって、示されました」イエスの死によって、私たちは「命である霊の体」を頂くのです。
今日のみ言葉でも、血肉の体があれば、霊の体がある、それと同じように血肉の体で蒔かれれば、御霊に属する体によみがえらされると言うのです。 血肉の体を通して、霊の体がある事を知るのですが、それは、「蒔かれる」事によって、すなわち「死」によって出来るものだと言うのです。
これを通して知る事は、すべてこの世にある物は「実体」ではなく、「影」に すぎない事です。しかし造り主がこの「影」を通して「実体」を見るようにしまし た。「影」がある事は「実体」がある事ですが、それと同じように「血肉の体は影 であり、霊の体は実体である」のです。
ですから、私たちは、血肉の体のために生きるのはなく、キリストの愛をもって、後に着せられる「霊の体」のために、生きるのです。そのような日々を、今日のみ言葉では「血肉の体で蒔く」という表現を使いました。私たちは、主のために自分をささげ、この世に蒔かれるものであり、蒔かれて朽ちるのではなく、死ぬ事のために歩む存在なのです。そのような人を聖書はキリストに属し ている、「クリスチャン」と言うのです。今週も主の恵みによって、天国の希望に 満ちた日々を送れるように祈ります。

大阪ホーリネス教会

大阪ホーリネス教会は聖書の教えと生き方が釣り合う共同体を目指していく教会です。

0コメント

  • 1000 / 1000