주제: 「良い人は良い知らせを」
찬양: 370番「主にすがるわれに」주 안에 있는 나에게
기도: ザ・ブレシング The Blessing
24 ダビデは外門と内門の間に座っていた。見張りが城壁の門の屋根に上り、目を上げて見ていると、見よ、ただ一人で走って来る男がいた。25 見張りが王に大声で告げると、王は言った。「ただ一人なら、吉報だろう。」その者がしだいに近づいて来た。
24 때에 다윗이 두 문 사이에 앉아 있더라… 눈을 들어 보니 어떤 사람이 홀로 달려오는지라 25 파수꾼이 외쳐 왕께 아뢰매 왕이 이르되 그가 만일 혼자면 그의 입에 소식이 있으리라 할 때에 그가 점점 가까이 오니라
26 見張りは、別の男が走って来るのを見た。見張りは門衛に叫んだ。「あそこにも、一人で走って来る男がいる。」王は言った。「それも吉報を持って来ているのだろう。」
26 파수꾼이 본즉 한 사람이 또 달려오는지라 파수꾼이 문지기에게 외쳐 이르되 보라 한 사람이 또 혼자 달려온다 하니 왕이 이르되 그도 소식을 가져오느니라
27 見張りは言った。「最初の者の走り方は、ツァドクの子アヒマアツのもののように見えます。」王は言った。「あれは良い男だ。良い知らせを持って来るだろう。」
27 파수꾼이 이르되 내가 보기에는 앞선 사람의 달음질이 사독의 아들 아히마아스의 달음질과 같으니이다 하니 왕이 이르되 그는 좋은 사람이니 좋은 소식을 가져오느니라 하니라
本文は見張りが言いました。ツァドクの子アヒマアツのような者が走って来るとそれを聞いたダビデは言いました、「あれは良い男だ。良い知らせを持って来るだろう。」
アヒマアツはダビデの心に良い人でした。だから、ダビデはそのように言いましたが、これにはダビデの願いも強く働かれている事でしょう。自分の子アブサロムが無事であるという願いです。
ともかく、アブサロムによる謀反とその一連の出来事は終着しました。これは、14節に記されているとおりの結果です。
この出来事から、ダビデという人物像がもうちょっとわかってくるような気がしました。
その中で、今日のみ言葉をとおして受け取るメッセージは、「良い人は良い知らせを告げる」という事です。その期待を与える者でありましょう。
日を過ごしていると、様々な経験をしますが、その中で人間関係に生じるものが一番大きいと思います。特に「良い人」だと思っていて、期待しているので、その人から裏切られるという経験が一番気の毒で、痛いものでしょう。
私たちはクリスチャンです。神の子となれた事は、その出発点から「良い人」とされるものです。信仰によって造り主の子とされた事は「もう良い人となった」意味であるという事ですが、とすれば私たちは互いに失望させないために、精一杯生きる存在です。ところが、これほどストレスを受ける生き方はないでしょう。もちろん、良い人として、良いクリスチャンとして正しく生きるために、主のみ言葉を精一杯握り締めて生きる事は当然な事ですが、目に見えるままを思い、判断し、扱ってくれる人に「良いクリスチャン」として演技する事は、もう御免です。
では、良い人が持つべき良い知らせと期待は何でしょうか?それは、いう事もなく「福音」です。問題は、私たちが、良い人として、良く見せるために、面倒な日々を生きるという事です。そして、躓いてしまいます。
良い人は、自分の中にある「福音」をいう存在です。イエス・キリストが中にいる者は「イエスの福音を宣べる」のです。主イエスの良い知らせである、福音を口ずさむ良い人、良いクリスチャンである様に祈ります。
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