2020 / 5 / 29 黙想のみことば

ハバクク書 2章2~11節

2 "主は私に答えられた。「幻を板の上に書き記して、確認せよ。これを読む者が急使として走るために。 

3 この幻は、定めの時について証言し、終わりについて告げ、偽ってはいない。もし遅くなっても、それを待て。必ず来る。遅れることはない。 

4 見よ。彼の心はうぬぼれていて直ぐでない。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。」 

5 実にぶどう酒は裏切るもの。勇士は高ぶっていて、定まることを知らない。彼はよみのように喉を広げ、死のように、満ち足りることを知らない。彼は自分のもとに、すべての国々を集め、あらゆる民をかき集める。 

6 これらはみな、彼に対して嘲りの声をあげ、皮肉たっぷりに、風刺して言わないだろうか。「わざわいだ。いつまでなのか。自分のものでないものを増し加え、その上に担保を重くする者」と。 

7 おまえにかみつく者が突然起き上がり、揺り動かす者が目覚めて、おまえは彼らに略奪されないだろうか。 

8 おまえが多くの国々を略奪したので、ほかのあらゆる民がおまえを略奪する。おまえは人の血を流し、地に暴虐を行った。町々とそのすべての住民に対して。 

9 わざわいだ。自分の家のために不正な利得を貪り、悪の力から逃れるために、自分の巣を高い所に構える者。 

10 おまえは自分の家のために恥ずべきことを謀り、多くの国の民を滅ぼした。おまえのたましいは罪を犯した。 

11 まことに、石は石垣から叫び、梁は家からこれに答える。" 



今日のみ言葉、4節は、ハバクク預言者が訴えた事に対して、主が下さった答えです。一言でいうと、「高慢な人、悪人は自分勝手に生きるとしても、正しい人(義人)はその信仰によって」生きなければならない。という事でした。

 そうです、この世の人々は自分勝手に生きていても、主イエス・キリストによって、神の子となった私たちは信仰によって生きるべき存在です。 

具体的に、ハバクク書が言う信仰によって生きる事とは、「この幻は、定めの時について証言し、終わりについて告げ、偽ってはいない。もし遅くなっても、それを待て。必ず来る。遅れることはない。」(3節)と言われた主なる神様のお告げに対する信仰でした。要するに、主なる神様が定められた、裁きの日は必ず来る事を信じ、この世の人々と区別されて生きる事です。もちろんこの世の人々と付き合ってはいけません、という事ではありません、むしろその中に入るべきです。そして、区別された区分を示す生き方をもって、主なる神について「偽ることなく、(福音を)告げる」者として生きる事です。

ところが、クリスチャンとして聖書のみ言葉に従って生きる事は簡単ではありません。それで、主イエス様は言われました。「あなたがたに言っておくが、神はすみやかにさばいてくださるであろう。しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」(ルカ18:8)と。「信仰によって生きる者が少ない!」という意味です。 主なる神様が下さったみ言葉通りに生きる事が大変でしょうか?しかし、はっきり申し上げる事は、日々その葛藤(かっとう)の中で奮闘していれば、それは信仰によって生きている証拠であるという事です。もうちょっと主の日を待ち望めば、遅く感じるとしても主は必ず来られるのです。


詩篇23篇 4たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。

大阪ホーリネス教会

大阪ホーリネス教会は聖書の教えと生き方が釣り合う共同体を目指していく教会です。

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