聖く、尊く

コリント人への第Ⅰの手紙 6章19-20節, 7章23-24節1 
今日、パウロは言います。造り主が私たちを「代価を払って買い取られた」ので、「人間の奴隷となってはいけません」と言われました。「代価を払って買い取られた」事は、信仰持つ私たちをイエス・キリストの十字架によって、造り主の子して下さった事です。聖書的に言うと「怒りの子」から「造り主の子」として下さった事であり、そのために一人子イエスを「罪の代価として十字架にて支払った」意味です。という事は、自分は自分のものではない、それで、6章20節のように「あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。」と言われました。また、「人間の奴隷」とは、人間の関係と共に人間によって作られたすべてのものに、縛られないでくださいという事です。要するに「主なる神様にとらえられよ」と言うのです。
私たちの体をもって神の栄光を現すべき理由は、簡単です。「神のみまえに、あなたがたの心を強め、清く、責められるところのない者」とするためです。何を意味するのか言うと、私たちのすべての人間は造り主の前に立ち、その信仰による行いによって、裁かれるのです。イエス様はヨハネ5章29節において言われました「善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。」だから、パウロは「自分の体をもって神の栄光を現しなさい」と言ったのです。
今、私にとって「人間の奴隷」となるものは何があるのでしょうか?深く考えるべきです。私たちがどのような状況においても主なる神様について行けるのは、その神様こそ真の神であり、一人子を私のために遣わされたほど、愛して下さるからではありませんか。イエス様が背おられた十字架の恵みによって、造り主の子となり、その神のものとなった私たちですから、どんな権威あるものも、力あるものも、私たちに勝ってません。私たちは信仰によって勝利のみです。そのような私たちが自分を愛するゆえに世におぼれ、人間の奴隷となる事は、一番愚かな事です。本当の信仰を持っていない事です。イエス様は十字架を前にしてこのように言われました。「イエスは答えられた、『あなたがたは今信じているのか。…これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ16:31-33)。今週も主の愛に満たされ、信仰によって共に行きましょう。

大阪ホーリネス教会

大阪ホーリネス教会は聖書の教えと生き方が釣り合う共同体を目指していく教会です。

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