2020 / 6 / 23 黙想のみことば

20 "兄弟たち、考え方において子どもになってはいけません。悪事においては幼子でありなさい。けれども、考え方においては大人になりなさい。 

21 律法にこう書かれています。「『わたしは、異国の舌で、異なる唇でこの民に語る。それでも彼らは、わたしの言うことを聞こうとはしない』と主は言われる。」 

22 それで異言は、信じている者たちのためではなく、信じていない者たちのためのしるしであり、預言は、信じていない者たちのためではなく、信じている者たちのためのしるしです。 

23 ですから、教会全体が一緒に集まって、皆が異言で語るなら、初心の人か信じていない人が入って来たとき、あなたがたは気が変になっていると言われることにならないでしょうか。 

24 しかし、皆が預言をするなら、信じていない人や初心の人が入って来たとき、その人は皆に誤りを指摘され、皆に問いただされ、 

25 心の秘密があらわにされます。こうして、「神が確かにあなたがたの中におられる」と言い、ひれ伏して神を拝むでしょう。 

26 それでは、兄弟たち、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それぞれが賛美したり、教えたり、啓示を告げたり、異言を話したり、解き明かしたりすることができます。そのすべてのことを、成長に役立てるためにしなさい。 

27 だれかが異言で語るのであれば、二人か、多くても三人で順番に行い、一人が解き明かしをしなさい。 

28 解き明かす者がいなければ、教会では黙っていて、自分に対し、また神に対して語りなさい。 

29 預言する者たちも、二人か三人が語り、ほかの者たちはそれを吟味しなさい。 

30 席に着いている別の人に啓示が与えられたら、先に語っていた人は黙りなさい。 

31 だれでも学び、だれでも励ましが受けられるように、だれでも一人ずつ預言することができるのです。 

32 預言する者たちの霊は預言する者たちに従います。 

33 神は混乱の神ではなく、平和の神なのです。聖徒たちのすべての教会で行われているように、 

34 女の人は教会では黙っていなさい。彼女たちは語ることを許されていません。律法も言っているように、従いなさい。 

35 もし何かを知りたければ、家で自分の夫に尋ねなさい。教会で語ることは、女の人にとって恥ずかしいことなのです。 

36 神のことばは、あなたがたのところから出たのでしょうか。あるいは、あなたがたにだけ伝わったのでしょうか。 

37 だれかが自分を預言者、あるいは御霊の人と思っているなら、その人は、私があなたがたに書くことが主の命令であることを認めなさい。 

38 それを無視する人がいるなら、その人は無視されます。 

39 ですから、私の兄弟たち、預言することを熱心に求めなさい。また、異言で語ることを禁じてはいけません。 

40 ただ、すべてのことを適切に、秩序正しく行いなさい。" 

コリント人への手紙 第一 14章20~40節



39 ですから、私の兄弟たち、預言することを熱心に求めなさい。また、異言で語ることを禁じてはいけません。

40 ただ、すべてのことを適切に、秩序正しく行いなさい。"


パウロは言います。「預言と異言を適切に、秩序正しく行いなさい」と。

「預言」は、主のみ言葉に基づいた先に起こりうる事柄、もしくは兄弟姉妹に対して主から頂いた「助言」のようなものであります。また「異言」とは、簡単に言えば自分の母国語でない、他の言葉で祈る(賛美)事を言います。そしてこの二つが当時に現れる時もあります。パウロが言いました「霊の賜物」の中で一つであり、すべての「賜物」は教会の徳、益のために、すなわち神の国のために主から聖徒へ与えられた「プレゼント」です。一般的には信者によって異なり、「愛と信仰と希望」除いて、何が良い賜物なのかではなく、環境により用い方が異なるだけです。

しかし、パウロが「適切に、秩序正しく行いなさい」と言われたのは、当時コリント教会で何人かの信者らが弁えのない「預言と異言」を行われていたからでした。いくら「霊の賜物」であっても、適切に、秩序正しく用いられなければ、教会の徳などは絶対に高めません。問題を起こし、分裂を招く恐れが大きなのです。だから、パウロは教会のために「禁じる」事ではなく、「適切に、秩序正しく」しなさい。と言うのです。 どうすれば、良いのでしょうか?「霊の賜物」を不定せずにむしろ勧めているのる見て、分かる事は、主から頂いた「賜物」を「適切に、秩序正しく行えるように『努力』しなければならない」という事でした。

私たち、クリスチャンは主イエス・キリストの十字架の恵みによって「新しく造られたもの」なのです。しかし、イエスによって新しくなったから、何もいらないと言うわけではありません。一方的な恵みによって与えられた、「新しい人」である、自分を、神の力、助け主である聖霊によって守らなければなりません。要するに主の助けは必ず、呼び求める者に与えれるので、聖霊によりて「努力」し、適切に、秩序正しく行う日々を歩まなければならない事です。

私たちは目標があります。走る理由がある者です。最後のあの時まで、節制して主の御名の力を信じて歩みましょう。必ず、信仰によるささげるすべての努力には主の賞があります。



Ⅱペテロの手紙3章

12 極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。13 しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。14 愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。




大阪ホーリネス教会

大阪ホーリネス教会は聖書の教えと生き方が釣り合う共同体を目指していく教会です。

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