12 "ところで、キリストは死者の中からよみがえられたと宣べ伝えられているのに、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はないと言う人たちがいるのですか。
13 もし死者の復活がないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。
14 そして、キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。
15 私たちは神についての偽証人ということにさえなります。なぜなら、かりに死者がよみがえらないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずなのに、私たちは神がキリストをよみがえらせたと言って、神に逆らう証言をしたことになるからです。
16 もし死者がよみがえらないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。
17 そして、もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。
18 そうだとしたら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったことになります。
19 もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。"
コリント人への手紙 第一 15章12~19節
「もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。」19節
パウロは言います。「クリスチャンが、この地上の命においてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です」と。すなわち、死んだ後に「復活」がなければ、しばらくの人生において、節制し、奉仕し、礼拝などをささげた私たちこそ、一番哀れな者だと言うのです。まさにそうでしょう。
しかし、イエス様は蘇られましたし、十字架を背負う前に、このように言われました。「善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。」(ヨハネ5:29)
私たちは、復活を信じ、あの世に対する望みを抱かれなればなりません。そうでなければ、自分も知らない間、この世の人々と同じように、この地上においてのみの希望をもって生きてしまうのです。御国である、天国の希望の信仰をもって歩む時に、私たちは区別された生き方を歩み、周りの人々に本当の希望を与える事が出来ます。
いのちの復活を信じますか?その信仰による、イエス・キリストの助けは今日も信仰をもって生きるすべてのクリスチャンの上に強く働かれています。この地上ではなく、あの世に対する希望をもって共に歩み抜きましょう。主のみ名によって祝福いたします。
ヨハネによる福音書14章
1 「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。2 わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。3 そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。
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