2020 / 7 / 7 黙想のみことば

1 "キリストは肉において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉において苦しみを受けた人は、罪との関わりを断っているのです。 

2 それは、あなたがたが地上での残された時を、もはや人間の欲望にではなく、神のみこころに生きるようになるためです。 

3 あなたがたは異邦人たちがしたいと思っていることを行い、好色、欲望、泥酔、遊興、宴会騒ぎ、律法に反する偶像礼拝などにふけりましたが、それは過ぎ去った時で十分です。 

4 異邦人たちは、あなたがたが一緒に、度を越した同じ放蕩に走らないので不審に思い、中傷しますが、 

5 彼らは、生きている者と死んだ者をさばこうとしておられる方に対して、申し開きをすることになります。 

6 このさばきがあるために、死んだ人々にも生前、福音が宣べ伝えられていたのです。彼らが肉においては人間としてさばきを受けても、霊においては神によって生きるためでした。 

7 万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。 

8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。 

9 不平を言わないで、互いにもてなし合いなさい。 

10 それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。 

11 語るのであれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕するのであれば、神が備えてくださる力によって、ふさわしく奉仕しなさい。すべてにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。この方に栄光と力が世々限りなくありますように。アーメン。" 

ペテロの手紙 第一 4章1~11節


7 万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。


今日の本文は、万物の終わりが近づいているので、心を整え身を慎むようにと言いました。

聖書で言う、「万物の終わり」とは、二つに区分できます。

一つは、へブル人への手紙1章2節を見ると、「この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである」と言いますが、御子である、イエス・キリストの受肉(受肉:救い主イエス様が母マリアから生まれた事の意味)の時から今まで、そして再臨される時まで「命のみ言葉」を語りかけているので、「終わり」と言えば、受肉されてからイエスの再臨の時までを言います。

二つ目は、マタイ24:6において「まだ終わりではない」と言いながら、万物の終わりの「最後の地点」(The End of the Last Time)を指すときの事です。要するに、一つ目の「終わり」はイエス様がこの世に来られた(受肉された)時から、再臨される時までの事を言い、二つ目の「終わり」は、この「終わりの最後」の時を意味しているという事です。

ところが今の時は、どのような時期でしょうか。少なくとも「最後」に近づいていると思います。しかし今日のみ言葉をとおして、何より、心に留めるべきのは、「心を整え身を慎んで祈る」事でしょう。「終わり」であっても、「最後の次期」であっても、目を覚ましているのであれば、「花婿であるイエス・キリストを花嫁である私たちが迎えられる」に違いありません。そのためにペテロは、祈ることの大切さを言いながら、「心を整え身を慎みなさい」と言っているのです。

主が来られる時に、私の名を呼んで下さる事を深く望んでいますか? 今日も信仰もって生きる一人一人を主は覚えて下さり、助けの御手を伸ばして居るのです。最後の時は必ず来ますが、その時まで信仰によって勝利を得るために、時をわきまえながら、心を整え身を慎んで祈る私たちとなりましょう。

ヨハネによる福音書10章 3 

番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。

大阪ホーリネス教会

大阪ホーリネス教会は聖書の教えと生き方が釣り合う共同体を目指していく教会です。

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