ペテロの第Iの手紙 4章7節-11節
ペテロ書は当時ローマ帝国による迫害が極めつつあったころ、ローマに居たペテロが現在トルコである小アジア地域のクリスチャンたちに送った励ましの手紙でした。励ましの手紙と言え、迫害の必然性とその中に居ても主の約束に堅く立って「善を行う」ように、「互い愛し合う」ように勧める内容でした。しかしこれこそがやがて受けるべき栄光の冠に相応しく、「キリストの栄光が現われる際に、喜びに溢れるためである」(13節)と言います。アーメン。 今日7節を見ると、万物の終わりが近づいていると言いました。聖書で言う、「万物の終わり」とは、二つに区分できます。一つは、へブル 書1章2節を見ると、「この終りの時には、御子によって、わたしたちに 語られたのである」と言い、御子であるイエス・キリストの受肉から再臨 されるまで、「命のみ言葉」を語りかけているので、「今」が「終わりの時」であると言えます。二つ目は、マタイ24:6において「まだ終わりではない」と言いながら、万物の終わりの「最後の地点」(The End of the Last Time)があり、「終わりの最後」と言える区分です。
要するに、一つ目の「終わり」はイエス様がこの世に来られてから、 再臨されるまでの事を言い、二つ目の「終わりの最後」とは『終わりの中で最終盤部である最後』の事を言います。
では、「終わり」の時代である今は、どのような地点でしょうか。殆ど 「最後」に近づいていると思います。それなので何より、心に留めてなすべき事は、「心を整え身を慎んで祈る」事ではないでしょうか。そして、イエスの名による祈りの目的は「互いの愛を熱く保つ」ためである事をペテロは言います。祈りは力です。主の霊が強く私の上に臨み 「愛せる」ようにして、終わりの最後の時に自分の信仰を守り、教会共 同体を支えるように(11節)して下さいます。時を分別できる事は、行えようとする思いを支えます。2千年前から、多くのクリスチャン達は「万 物の終わり」であると弁えて信仰を守りました。今は、本当の「終わりの最後」に近づいていて、「目を覚まして」信仰生活をする時では無いと思われます。心を整えで身を慎み「祈り」、「互いの愛を熱く保ち」我らの主を待ち望むように、心から祈ります。勝利は我らのものですから...
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