何を握っていますか?

イザヤ書 7章 10-17節
 今日のみ言葉11節を見ると、主なる神様がイザヤ預言者を通してア ハズ王言われました「あなたの神、主に一つのしるしを求めよ」と。ここ で、「しるし」を求めなさいと言われたのは、南王国に危機が迫ってき たからでした。それに対して、主なる神様が守られると言われた事に 「確かな証しとして、確信を与えるため」の主なる神様の恵みであった のです。
しかしアハズ王は「主を試みる事を致しません」と答えます。ある面 では、アハズ王の信仰深い姿として見えますが、実はそうではありま せん。まず、主に求める事は、「印し」であれ、「願い」であっても主な る神様を「試みる」事にはなりません。むしろ主なる神様は何度も「わ たしに求めよ」とおっしゃっておられるのです。それに答えられた経験 は、より主なる神様への「信頼」につながるのです。偏見的な見方しか できない私たちの人間がより、全能の神様について知る機会となり、 主のみ旨が分かる幸いなチャンスでもあるのが、「主に求める時」で す。アハズ王はなぜ、求めませんでしたか?それは、彼の他の計画が あり、目に見える強い国である、「アッシリア帝国」に助けを求めようと したからでした。主のみ言葉より、アッシリアの王がもっと心強かったと いう事です。
では、アハズ王の姿を通して悟る事は何でしょうか?多くの信仰あ る人々が、実に自分の心で自ら「良し」と思う事を決めてから祈るという 事です。その状態では、主のみ言葉が耳に入る事は難しいという事で す。私たちは主に導かれる時こそ、本当の安全と祝福を頂けるので す。そのためには、自分の思いと心、いわゆるすべての計画を白紙に して、主に委ね聞こうとする、祈りが大事なのです。「主のみ言葉を黙 想する時」にも、「礼拝」を捧げるときにもこのような「志し」を忘れてなり ません。より耳を傾けるために、静まって主のみ言葉を受け入れようと しなければなりません。信仰生活の中で一番大事なことは、「礼拝」を とおして、「主なる神様のみ言葉に従順」を学ぶ事です。「主よ、悟ら せて下さい。私が聞きます。」という従順な心を持って主な神様へ近 づく私たちになりましょう。

大阪ホーリネス教会

大阪ホーリネス教会は聖書の教えと生き方が釣り合う共同体を目指していく教会です。

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