2021.06.17木 今日の黙想 箴言25:1-14


  “충성된 사자는 그를 보낸 이에게 마치 추수하는 날에 얼음 냉수 같아서 능히 그 주인의 마음을 시원하게 하느니라”(13절)
13 忠実な使者は、これを遣わす者にとって、刈り入れ時の冷たい雪のよう。その人は主人の心を生き返らせる。
본문은 “충성된 사자” 즉, 믿음직한 심부름꾼은 그를 보낸 주인에게는 무더운 추수 때의 얼음 냉수 같아 그 주인의 마음을 시원하게 해준다고 말씀하십니다. 한마디로 주인에게 충성하는 자가 주인의 마음을 기쁘게 한다는 것입니다. 주인에게 충성하지 않는 자는 주인의 마음을 기쁘게 할 수 없습니다.
‘충성’과 ‘열심’은 겉으로는 동일하게 보여도 전혀 다릅니다. 충성은 주인의 뜻에 맞게 열심을 내는 것이고, 열심은 주인의 뜻은 고려하지 않고 일을 열정적으로 하는 것입니다. 바울이 사울이었을 때는 율법에 열심 내는 것이 곧 하나님께 충성하는 것이라고 생각했지만, 실상은 정반대였었습니다. (행9장, 빌3:6)
주님께 충성을 다하고 있는가… 오늘 말씀이 저에게 깊이 돌아보게 하십니다. 저와 우리 모든 성도님들이 올바른 열심을 가지고 하나님 앞에 충성된 믿음의 사람이 되어, 주의 추수의 날에 기쁨이 될 수 있기를 간절히 소원하며 기도합니다.
本文は、「忠実な使者」は、遣わす者にとって、暑い収穫の時の「冷たい雪」となり、「主人の心を生き返らせる」存在であると言われました。「忠実な使者」というみ言葉が心に響きます。
人生において、「熱心」という言葉はいつもチャレンジと励みになれる言葉では無いかと思われます。ある目標へ向かって熱心に挑む姿は周りの人々に良い影響力を与え、動かせる力もあります。ところが、「熱心」と同意な「忠実」という言葉はどうでしょうか?
聖書では、「忠実」の上に「熱心」という差を置いて使われています。ある面では同じく見えますが、聖書でいう、「忠実」は、主人の心に従って熱心を尽くす、という意味を持っていますが、世の中での「熱心」とは、主人の意図とは別に、自分の目標と好きな事に情熱を尽くす時の用語として用いているのです。
聖書の神を信じる私たちは、「忠実な者」となるべきです。遣わす者の意図に従って熱心に物事を起こす者です。使徒パウロは、「サウロ」という名前の時代、律法に対しては誰より熱心でした。それで、初代教会の信者らを迫害していたのです。自分は、主なる神のためにすべてを尽くしていて正しい事に熱心であると思いました。ところが正反対でした。これを悟ったパウロは後にこのように告白しました。「その熱心については教会を迫害したほどであり、律法による義については非難されるところがない者でした。」(ピリピ3:6)
私たちも信仰生活の中で、熱心ではあるが、主なる神のみ旨には関係なく、自分の熱心に励む事はないでしょうか?今日のみ言葉を通して考えさせられます。
何でも熱心な者である事は重要な姿勢でしょう。しかし、正しい目標へ忠実な者となるのが、先です。それを可能にさせるのが、主イエス・キリストの恵みであり、聖書のみ言葉です。
今日も主に限りない愛と助けが忠実な者となれる皆さんの上に注がれる事を祈ります。
ピリピ人への手紙 3章
14 目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。
14 푯대를 향하여 그리스도 예수 안에서 하나님이 위에서 부르신 부름의 상을 위하여 달려가노라

大阪ホーリネス教会

大阪ホーリネス教会は聖書の教えと生き方が釣り合う共同体を目指していく教会です。

0コメント

  • 1000 / 1000