今日の黙想のみことばです。
詩篇 1篇1~6節
1 "幸いなことよ悪しき者のはかりごとに歩まず罪人の道に立たず嘲る者の座に着かない人。
2 主のおしえを喜びとし昼も夜もそのおしえを口ずさむ人。
3 その人は流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結びその葉は枯れずそのなすことはすべて栄える。
4 悪しき者はそうではない。まさしく風が吹き飛ばす籾殻だ。
5 それゆえ悪しき者はさばきに罪人は正しい者の集いに立ち得ない。
6 まことに正しい者の道は主が知っておられ悪しき者の道は滅び去る。"
今日の黙想の分ち合い
「幸いなことよ、悪しき者のはかりごとに歩まず罪人の道に立たず嘲(あざけ)る者の座に着かない人。主のおしえを喜びとし昼も夜もそのおしえを口ずさむ人。」(1-2)
本文は、どのような人が幸いな人なのかについて語っています。すなわち「悪しき者のはかりごとに歩まない人」、「罪人の道に立たない人」、「嘲る者の座に着かない人」でなく、ただ「主の教えを喜んで昼も夜もその教えを口ずさむひと」が幸いなひとです、という詩人を通して主は教えられました。
要するに、幸いな人は大ざっぱに三つの事をしないで、一つの事をしている者です。という意味です。そうです。実際にこれ一つだけであれば、十分な「幸いな人」になれるのです。なぜならば、「主のおしえを喜びとし昼も夜もそのおしえを口ずさめば」、「悪しき者のはかりごとに歩まないず」、「悪しき者のはかりごとに歩まず罪人の道に立たず嘲(あざけ)る者の座に着かない」からでしょう。
ここで深く考えるべきです。私は本当に主のおしえを喜んでいるのか、それで昼も夜もその教えに口ずさんでいるのか…考えさせられます。そして、本当にわが教会の皆さんは、これに伴うために日々を送っているのか…正直不安なこころもあります。切に願う事は、私をはじめ大阪ホーリネス教会の皆さんがみんな「幸いな者」となれるために、主の教えを喜び、自分にとって「悪い道と座が何であるのかを自覚」する事です。
今日も主の助けと導きの中ですべてが守られ、導かれるように…
ヨシュア記1章 「8 この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。9 わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない」。
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