今日の黙想のみことばです。
詩篇 2篇1~12節
1 "なぜ国々は騒ぎ立ちもろもろの国民は空しいことを企むのか。
2 なぜ地の王たちは立ち構え君主たちは相ともに集まるのか。主と主に油注がれた者に対して。
3 「さあ彼らのかせを打ち砕き彼らの綱を解き捨てよう。」
4 天の御座に着いておられる方は笑い主はその者どもを嘲られる。
5 そのとき主は怒りをもって彼らに告げ激しく怒って彼らを恐れおののかせる。
6 「わたしがわたしの王を立てたのだ。わたしの聖なる山シオンに。」
7 「私は主の定めについて語ろう。主は私に言われた。『あなたはわたしの子。わたしが今日あなたを生んだ。
8 わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与える。地の果ての果てまであなたの所有として。
9 あなたは鉄の杖で彼らを牧し陶器師が器を砕くように粉々にする。』」
10 それゆえ今王たちよ悟れ。地をさばく者たちよ慎め。
11 恐れつつ主に仕えよ。おののきつつ震え子に口づけせよ。
12 主が怒りおまえたちが道で滅びないために。御怒りがすぐにも燃えようとしているからだ。幸いなことよすべて主に身を避ける人は。"
今日の黙想の分ち合い
"わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与える。地の果ての果てまであなたの所有として。" 詩篇 2篇8節
今日の本文は、「わたしに求めよ」と主が詩人を通して言われました。そうすればすべての国々を与え、地の果てまで所有させると約束されました。余りにも大きい約束なので信じ堅いし、非現実的な言葉として受け止めます。しかし、このみ言葉を条件と約束の概念として理解するより、私たちに「求めよ」と言われた方が「どのような方なのかを知る」ための理解を持った方が良いかと思います。
私たちに「求めよ」とは、「祈りなさい」という事です。これを言われた主なる神様は、どのような神なのか、祈れば地を与え、所有させるほど世のすべての権利があり、境界それを定められた方であります。一言で言うと、「この世のすべてをご自由(御心)のままにされる全能の方」なのです。イエスを信じる聖徒たちはこの方の子であり、すべての権威のある方が我らの父である事が大きな勇気を与えられます。
重要な事は、子供は両親の能力に合うものを求める事です。ところが我らの本当の父なる神様はこの世の創造者なので何でも求める事が出来ます。さらに、父なる神様はご自分の子らに合う事を求めるが、それ以上の能力を与える方なので、我らが信仰にて反応すれば、自分が出来る限界を超えた結果も得られると考えられます。とても大きな恵みではありませんか...
それで、主イエス・キリスト「何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命の事で思い煩うな…まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられる」(マタイ6:25-34)とお教えになったのです。今日も、造り主に対して信仰を持ち、イエスの名による祈りを捧げましょう。
ピリピ人への手紙4章
6 何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
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