詩篇 6篇1~10節
1 "主よ御怒りで私を責めないでください。あなたの憤りで私を懲らしめないでください。
2 主よ私をあわれんでください。私は衰えています。主よ私を癒やしてください。私の骨は恐れおののいています。
3 私のたましいはひどく恐れおののいています。主よあなたはいつまで──。
4 主よ帰って来て私のたましいを助け出してください。私を救ってください。あなたの恵みのゆえに。
5 死においてはあなたを覚えることはありません。よみにおいてはだれがあなたをほめたたえるでしょう。
6 私は嘆きで疲れ果て夜ごとに涙で寝床を漂わせふしどを大水で押し流します。
7 私の目は苦悶で衰え私のすべての敵のゆえに弱まりました。
8 不法を行う者たちみな私から離れて行け。主が私の泣く声を聞かれたからだ。
9 主は私の切なる願いを聞き主は私の祈りを受け入れられる。
10 私の敵がみな恥を見ひどく恐れおののきますように。彼らが退き恥を見ますように。瞬く間に。"
"私は嘆きで疲れ果て夜ごとに涙で寝床を漂わせふしどを大水で押し流します。"
詩篇 6篇6節
本文を見ると、「涙」が「大水」になったと言うのを見ます。詩人が受けた苦難の程度がどれぐらいだったのかが少しは変わるような表現でした。
しかし、詩篇6篇全体を読んでみると、詩人が苦難の中でただ涙を流したのではなく、彼が祈りの中で流した涙だった事が分かります。私たちクリスチャンには涙の祈りほど主と深く交わる時もありません。そして悩みのとき、苦難の時が長びるほど祈り、涙を持って呼び求める事も非情に大事な事です。
イエス様も死を前にして嘆き悲しみながら涙の祈りをもって主なる神様に祈られました。私の経験もそうでしたが、苦難中に主を呼び求め、涙を持って祈ったその時より、主と親密関係を持ち、幸せだった時がありません。主は、私たちの声にいつも耳を傾けておられるゆえ、ご自分の子である私たちの涙の祈りは(会話)力強いものなのです。
"「地を造った主、それを形造って堅く立てた主、その名が主である方が言われる。
『わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。』"
エレミヤ書 33章2~3節
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