今日の黙想のみことばです。
詩篇 8篇1~9節
1 "主よ私たちの主よあなたの御名は全地にわたりなんと力に満ちていることでしょう。あなたのご威光は天でたたえられています。
2 幼子たち乳飲み子たちの口を通してあなたは御力を打ち立てられました。あなたに敵対する者に応えるため復讐する敵を鎮めるために。
3 あなたの指のわざであるあなたの天あなたが整えられた月や星を見るに
4 人とは何ものなのでしょう。あなたが心に留められるとは。人の子とはいったい何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。
5 あなたは人を御使いよりわずかに欠けがあるものとしこれに栄光と誉れの冠をかぶらせてくださいました。
6 あなたの御手のわざを人に治めさせ万物を彼の足の下に置かれました。
7 羊も牛もすべてまた野の獣も
8 空の鳥海の魚海路を通うものも。
9 主よ私たちの主よあなたの御名は全地にわたりなんと力に満ちていることでしょう。"
"あなたは人を御使いよりわずかに欠けがあるものとしこれに栄光と誉れの冠をかぶらせてくださいました。"
詩篇 8篇5節
本文は、主なる神様が「人をみ使いよりわずかにかけがある者としこれに栄光と誉れの冠をかぶらせて下さった」と言われます。 詩人がこのように告白した背景はなんでしょうか?造り主の神と自分を思う中で悟られた恵みでした。これを私たちは黙想と言います。
主なる神様を黙想する大切さが分かります。なぜならば、自分自身がどのような存在なのかが分かるからです。すなわち私が造り主のかたちを持って造られた、尊い存在である事が分かるという事です。それで、主なる神を黙想クリスチャンにとって自尊感がなく、引き込む事は信仰の無さとも言えると思います。
主イエス・キリストによって創造主の子となれた事を信じれば、測れない勇気が湧くのではありませんか。私たちクリスチャンは目に見えるものではなく、永遠のものを見て生きる存在、さらにダビデの告白ように栄光と誉れの冠をかぶらせていただく存在である事を忘れてはなりません。
日々、急変化していくこの時代を生きる私たちは、もっと主なる神によって造られた世界でなく、この世をお創りになった創造主を思い、どのような状況においても「栄光と誉れの冠」をかぶられた尊(とうと)く尊(たっと)い=高貴な存在である事を覚えて、それに相応しい備える日々を生きるように強くお勧めいたします。
ヨハネによる福音書1章 12
しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。
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