イザヤ書 6章 1-8節
イザヤ書は、今から2700年前にイザヤによって書かれた書物です。彼は南ユダ王国の預言者として、ウジヤ王をはじめ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤ王まで、活発に活動をし、最後はヒゼキヤ王の子、マナセ王によって、 殉教された偉大な預言者でした。66章のイザヤ書は、小さい聖書とも言わ れています。新旧約のみ言葉を解く時に、重要なキーワードがあり、世の 終わりについても記されている書物です。内容的には北イスラエルと南ユダ王国に対する厳しい預言が書かれています。しかし、希望と新しい約束が結論となっています。何より、今日の私たちに対するメッセージを読み掴む事が大切だと思います。
今日、本文6章のみ言葉はイザヤ預言者にとって重要な「聖化」の経験が書かれています。これによって、本格的な預言者の使命を果たすようになり、彼の人生において節目となる瞬間である事が分かります。その初めが、南ユダ王国のウジヤ王が「死んだ年」、イザヤが見た幻の事から始 まっています。
ウジヤ王は、南王国の10代目の王でした。彼は、ソロモン王の時代にあった繁栄を取り戻していた立派な王であり、主の前に正しい道を歩まれ、主の助けを得て強くなった南ユダの王であると聖書は証言しています。そのウジヤ王が死んだ事は、南ユダにとって大きなショックであり、不安な出来事でした。このような時にイザヤも、民族の運命を心配しながら、 主の前で(神殿)祈っていたのです。その時にイザヤは幻の中で主なる神様の臨在を経験し、そして聖められる「聖化」恵みを得たのです。要するに、不安の中で主なる神様に近づき、すべての不安は取り除かれ、主に よって強められた事でしょう。
信仰生活の中で私たちも沢山の不安と恐れの中でいると思います。コロナ19もその中で一つであり、より増して行く事でしょう。そんな私たちに今日のイザヤの行動と選択は大きなメッセージがあるのです。とにかく主の前に近づき、主に祈る事の大切さを学びます。 自分ではなく、民族のために、民の信仰のために祈るイザヤの前に、主は現れました。そして聖く、また強くして下さいました。この恵みは今も主に近づくすべてのクリスチャン達に約束されている事です。主に近づきましょう。危機の時こそ、主へ信仰をもって進みましょう。これが、今日のみ言葉を通して私たちに与える大きなチャレンジです。
0コメント