使徒の働き13章 21−22節 사도행전 13장 21-22

「神様の御心にかなう者」

神様を信じ信仰の道を歩むクリスチャンがいつも覚えていなければならないのが、神様との関係です。人々は人生において起こる不幸の原因を環境のせいだと考える場合が多いです。しかしながら、人の不幸の始まりは傲慢(ごうまん)さから来るものです。神様から造られた人間が神になろうとする傲慢さゆえに、神様との関係が崩れ、すべての不幸を招くのです。だからこそ、神様が私たちに求められる優先順位は「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは全て添えて与えられるであろう(マタイ6:33)」です。

神様は、人間の幸せのため人生の優先順位を「義である神との正しい関係」とされました。ですので、神様との関係を正しく立て上げることよりも重要なことはないのです。神様と正しい関係の中にいると、全能なる神様が、人間が世界を生きていく上で必要なすべてのものを満たしてくださいます。ですので、私たちが本当に力を注がなければならないのは世の中のものを得ようと必死になる人生ではなく、それらを与えてくださる全能なる神様との正しい関係を結ぶことに力を注がなければなりません。

聖書で神様との正しい関係を通して祝福の源の人生を生きた代表的な人物がまさにダビデです。ダビデの人生は一言で「神様の御心にかなう者」と値される人物です。彼こそ、神様と正しい関係を一番に考える人でした。だからダビデはアブラハムの祝福を継ぐ血統であり、彼の子孫を通して世界を救うイエス・キリストが来られる栄光を受けることになります。ダビデは神様の御前でどんな人生を生きたでしょうか?

一番目に、ダビデは神様の御前で誠実さで生きた人でした。

神様は、ご自分に対する御心をなすために遣わされる者の重要な特徴はまさに誠実さです。大体の人は自身の有益と関連したものであれば誠実にこなすものです。しかし、他人のこと、自分に得がないことに対して、それを誠実にこなす態度は決して簡単なことではありません。神様は、ご自分の仕事を任せたときに見る重要な基準のうち一つがまさに他人のことに対してどのような姿勢で取り組むかです。ダビデは、まさに幼いにもかかわらず、いつも神様の御前で生きる者であったため、自身になんも有益もなかったとしても与えられた仕事に対して誠実さで果たす者でした。このようなダビデの態度は、神様の御心にかなう者となる重要な姿勢として見られたのです。

二番目に、ダビデは神様の御前で力を使うときと抜くときを知っている人でした。

ダビデは末っ子ですが、油注がれた者になりました。通常、人であればこの出来事によって態度が変わるかもしれません。しかし、ダビデは油注がれてからも前と変わらない人生を過ごしました。依然として、野原に出て父親の羊たちを誠実に世話していました。ダビデは父親のおつかいで兄たちがペリシテ人と戦っている戦場に行ったときに、兄たちはダビデを軽蔑し、戦争を見に来たのかと皮肉を言いました。

皆さん、ダビデとエリアブ엘리압の態度を注意深く見ていただきたいです。ここに神様の御心にかなう者の姿が見られるからです。エリアブ엘리압は、神様の軍隊が侮辱されていることに怒っているダビデに対して怒っています。

しかし、ダビデは力を抜くときと力を使うべきとき、怒るときと怒ってはいけないときを分別できるだけでなく、そのような感情を抑える力を持った人でした。兄たちの嘲笑や軽蔑に湧き上がる感情を御言葉で抑え、神様の御名が嘲笑や軽蔑を受けると怒りをあらわにしただけでなく、命をかけてその相手に向け突進して思い知らせる勇士でした。

ダビデは愛すべき対象と命をかけて戦うべき対象を分別できる人でした。家族と隣人は愛すべき対象ですが、神様と敵対する悪霊は命をかけて戦うべき対象です。信仰とは、自身の中にある力をいつ使って、いつ控えるかを知ることです。このような信仰を持った者が、まさに神様の御心にかなう者なのです。

神様は、偉大な信仰の勇士たちに対して、一度たりとも使わなかった「私の心にかなった者」と表現し、ほめられ、彼の子孫を通して王位が途切れることなく、彼の血統によって世界を救うメシアを送られるとの約束をされるほどでした。ここで、主なる神様がダビデを愛されたその姿が何であったかを私たちは正確に知る必要があります。なぜならクリスチャンとして生きるということは神様の喜びとなる人生を生きる者であるからなのです。であれば、神様が本当に求められる姿が何であるかを正確に知る必要がありますが、その良い基準となるのがまさにダビデです。

私たちの人生最高の目標は、この世界の成功でも、出世でも、富豪になることでも、権力を手に握って世界を治めることでもありません。ただ神様の御心を成し遂げる者となることです。その道は神様の御心にかなう者となることです。

今与えられた人生の場所で何をしていても神様の御前ですべてのことに最善を尽くし、誠実さをもって責任を果たす人生となることを願います。何に怒るべきか、何に沈黙すべきか、いつ力を使いまた力を抜かなければいけないのか、その分別力を育てて、それを実行できる霊的な力を持たなければなりません。

大阪ホーリネス教会の皆さんが、ダビデのように「主の御心に適われる」聖徒となれる事を心から祈ります。


大阪ホーリネス教会

大阪ホーリネス教会は聖書の教えと生き方が釣り合う共同体を目指していく教会です。

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